昭和の初め、北川一の潜水の名人といわれた鳥沢惣太郎という男がいた。 素潜りでサザエやアワビを捕っていた惣太郎は、現在の黒根岩風呂よりやや港寄りの海底にある不思議な岩の存在がいつも気になっていた。周りの岩は海草で覆われているというのに、その岩だけは決して海藻がつかないのである。
これはもしや温泉が湧いているのでは、と考えた惣太郎は、波打ちぎわから十メートルほど入った崖下、不思議な岩のある辺りを目測して掘り進めた。 すると三八〇尺(約115メートル)ほど掘ったところで摂氏90度の温泉が噴き出したのだ。噴湯の高さは二間(約3.6メートル)に及び、噴出量は毎分九斗(約160リットル)、全く塩気のない温泉だったという。 早速浜辺に温泉を引いて野天風呂を造り、部落の人に開放した。北川の人々に愛される、町の温泉浴場ができたのだ。
昭和30年代の北川漁港
古くからの温泉には、その由来について伝説や物語ががあるものが多い。しかし、昭和になってからの比較的新しい温泉で、こういったエピソードを持っているのは珍しいのだそうだ。
昭和30年代の北川海岸
昭和8年7月、伊東・下田間に下田街道が開通し、東海バスが走るようになって、陸路のみで伊豆半島東海岸の旅行ができるようになった。まだまだ限られた層ではあったが、伊豆半島は東京周辺の人々に観光旅行先として注目され始めたのである。
惣太郎が掘り当てた北川の温泉は、戦後三年間ばかり製塩に利用された他は、発見当時のまま、近隣の人たちが野天で湯浴みに使っていただけであった。 この温泉にキティ台風が縁となって畠山鶴吉が目をつけ温泉旅館を開業したことで温泉町・北川の開発がスタートしたのだ。
開湯当時から大切に利用されている黒根岩風呂
「秋風とともに温泉郷伊豆の観光シーズンがやって来た。ここは天城山の東南端、大島の噴煙をまじかにみる東海岸の波打ち際に今年のはじめから北川(ほっかわ)という新しい温泉場がお目見得した。伊東からバスで50分、熱川温泉の手前で半農半漁の小さな海岸部落である。
湯舟から太平洋を一望できる景色はまさに圧巻
冬は東京より10度も暖かく新婚組か湯治に最適といわれている。漁船が毎日早朝から新鮮な魚を運んでくる。海の幸はブリ、アジ、イカ、伊勢エビ、サザエとなかなか豊富。 波打ち際にある野天の岩風呂に入ると磯の香が鼻をつく。つい先日も猟師に追われたシカが北川海岸から海にザンブと飛び込んだ。シカは二里ぐらい泳げるそうでシカの水泳がみられた部落民の話が聞けた新温泉場だ。」 北川温泉は、今でもこの記事と変わらない風情を残している。
地域の宝である黒根岩風呂に何が起きていたのか?多くの旅人に愛され、地域に根ざしてきた絶景の露天風呂「黒根岩風呂」。後世に残してゆかねばならぬ伊豆の大切な宝、しかしそこに立ちはだかる出来事。自然環境の変化、たび重なる被災に心折れそうになる北川びと。逆境に立たされたときの心のあり様はいかに?
美しい伊豆の海を、これからもずっと変わらずに、次の世代の子供たちへ残していけるように・・・そんな願いを込めて、伊豆海洋保護基金は誕生しました。
東伊豆の北川温泉旅館組合は独自に設ける伊豆海洋基金(IOF)から能登半島地震災害義援金として20万円を日赤東伊豆町分区に託しました。
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伊豆北川の自然が与えてくれるインスピレーション。風の楽器サンポーニャとケーナの名手、瀬木貴将が紡ぎ出す、珠玉の北川ストーリー。 瀬木貴将音楽プロデュース! 心に風景がひろがる、やさしい物語がきこえる、 ゆったり流れる「北川時間」をあなたに・・・
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